歴史上に実在したおもてなし料理
滋賀県のリゾートホテル休暇村近江八幡は、5月15日(日)から7月15日(金)までの期間限定で再現料理「安土饗応膳」を提供している。「安土饗応膳」とは織田信長が1582年に徳川家康を3日間もてなした際に出された料理のことで、博物館と地元の観光振興団体「まんなかの会」によって再現された。
五つの膳で構成されており、主に一の膳では鯛の焼き物やたこ、鮒寿司など。二の膳ではアワビ、三の膳では焼き魚、四の膳では焼きするめや椎茸、五の膳には鰹や鯛、スズキの刺身が盛り付けられている。さらに台物として近江牛のすき焼き、食後のデザートとして求肥餅や豆餡が付く。
「天下人の会食・安土饗応膳」を限定再現!1日限定10食!歴史ロマン懐石『信長饗応膳』
販売期間: 2016年5月15日(日) ~ 7月15日(金) 1日限定10食
販売料金: 1泊2食 16,370~18,470円(1名様あたり)(プレスリリースより引用)
家康への感謝の印と本能寺の変へのいわく付き
この安土饗応膳は江戸時代の国学者・塙保己一が日本の古書を収集して編纂した『続群書類従』の「天正十年安土御献立」に記されている、全国から山海の珍味を集めた贅沢な膳。
この膳を信長の命により用意したのがあの明智光秀なのだが、いったいどのような経緯でこの贅沢な膳を用意することになったのか。
元々家康は幼少の頃、今川家と織田家の人質として織田家に預けられていた経緯があり、織田家の御曹司であった9歳年上の信長とは子どもの頃から面識があった。
両者がそれぞれの当主となった後、徳川家は今川家から離れて織田家と同盟を結び、信長の天下統一を邪魔する信長包囲網の際には信長の片腕のような働きをしている。
そして天正十年、信長は進軍してくる武田軍と相対することになる。そこで武田軍を征伐した際に最大限信長のフォローをした家康は、信長の最大の同盟者としてその後も信長に懇意にされることになったのだ。
安土饗応膳はこの武田軍征伐の協力に対する感謝の印として3日に渡って信長が家康に振る舞った贅沢な会食なのである。
また、この会食の用意を命じられた家臣・明智光秀が、用意した生魚について他の大臣たちの前で信長に叱責され、その恨みから本能寺の変を起こしたのではないか?という説もあり、なかなかに因縁深い料理でもあるのだ。
『続群書類従』に記録されている安土饗応膳は鯛やたこなどから始まり、貝やカラスミ、うるかなどの珍味、さらにはアワビやハモ、鴨や鯨などの現代でも高級食材として扱われる食材を使用。
中にはヒバリやツルなど現代では食用にしない珍しい食材も使われていた。もちろん今回提供の膳は現代風にアレンジされているので安心して美味しく食することができる。
「信長の家臣たち」展、開催中
2013年から続いているこの復刻プロジェクト。復元イベント会場となった安土城考古博物館では、4月29日(金)から6月5日(日)まで信長を支えた家臣とその働きを関係資料で紹介する「信長の家臣たち」展を開催している。
肖像画や発給文書などで、大河ドラマの主役を張るような有名な信長家臣、前田利家や羽柴秀吉などの資料も見ることができ、歴史好きにはたまらないイベントになっている。
<滋賀県立安土城考古博物館>
平成28年春季特別展「信長の家臣たち」
開催期間:2016年4月29日(金・祝)~6月5日(日) 月曜休館
所在地 :滋賀県近江八幡市安土町下豊浦6678
休暇村から車で20分(プレスリリースより引用)
(画像はプレスリリースより)

信長が家康にもてなした『安土饗応膳』が現代に蘇る! 休暇村近江八幡が7月15日までの期間限定で再現・発売 ~ 歴史を動かした 天下人の会食 ~
http://www.qkamura.or.jp/news_release/detail.asp?ty=1&id=101853